イーサン・インディゴ・スミス、永久戦争を終わらせる
永久戦争を終わらせる、インディゴ・ドクトリン
イーサン・インディゴ・スミス著
「世界よ目覚めよ」寄稿者
「君が政治に興味が無いというだけで政治が君に興味が無いことにはならない」~ぺリクレース
此の頃では何でもが究極的に政治的であるが、何でも最初は生物的である。しかし、我々の生物学と人間性を無視して、軍産複合体は、そのあらゆる有毒な様態をもちながら、しかもわれわれの最善の使役の為に作動していると主張している。
事実は、現代の政治は、かつでは個人と真実があったところで制度的形式主義を強制している。ますます個人の権利よりも制度的利権を優先して、ゲームのあらゆる面で政治家達は我々の物理的世界を犠牲にして会社の地位を強化し推進している。彼らは利益の為に資源戦争を始め、エネルギーの為に我々の環境を破壊し、熱狂を愛国主義と解釈し、社会的協力ではなく競争の文化への舵を取るー常に秘密と無意味なレトリック(修辞・言辞)のベールの陰に隠れて。
あなたがどんなカースト(種姓)に生まれたか、裕福か貧乏か、組織の勝利者か犠牲者かに関わり無く、大きな絵図では我々は商業、政治、そして戦争が主流で不可分の諸力である世界に住んでいる。この危険な組み合わせの結果が誰にでも何にでも悪影響を与える。だから、現今の枠組み内で安楽に感じるか窮屈に感じるかに関わらず、我々は未だに究極的にはその恣意のままにされている。そしてあなたが知らされているのを気にかけるか否かに拘わらず、無知は自分を癒してくれず、我々の病んでいる惑星の負荷が軽くなる訳ではない。
核のエネルギーと(核)武装実験
軍産複合体の最大の触手の一つはその作戦の核実験の面である。その作戦はエネルギーと武装を含みーこれから例証するが、不可分離的に結合する計画だがー地球上の一切の生命に負の衝撃を与えるものであり、災害が起きた場合には、生命を諸共に否定することのできるものである。
一例として、現に進行中のフクシマの災害についての耳をつんざく程の沈黙を守って世界の政治的元首達は政策策定と実施の両面共に我々の生物的福祉(まして社会的福祉)には考慮ゼロを示している。福島の致命的な原子炉を閉鎖する代わりに、世界の諸勢力は単にその状況に関する一切の情報を閉鎖しただけである。
2014年の、古びた施設の冷却装置欠陥の結果による蒸気漏出に続く、マイアミ地区にあるフロリダ電力・電気のターキー・ポイント施設の部分的閉鎖もまた報道はされなかった。(3)主流報道はこの原子炉溶融状況になる可能性のあったことについての報道を完全に封鎖した一方、その施設は稼動したままであったが、それはその冷却問題を直したからではなく、会社がロビー活動をして許容水温安全基準をそれまでの華氏100度で違反から103度(で違反)にする特別許可を得たからであった。
情報の秘密と秘匿の単純な理由は核実験産業がまさにそれー実験だからである。それは「きれいな」技術だと客引きをしているが、核(原子力)産業は自ら生み出す放射性廃物を処理する何の仕組みもなく、将来にわたりその仕組みを可能にする計画もないのである。それが持っている計画は毎日生み出す山積みの放射性廃物を囲い、放射性廃物が自然に崩壊する百万年の間貯蔵するだけなのである。
それで、我々が政府の哲学を容認しようと拒絶しようと、我々の生物学と子孫の子孫のその又子孫のそれも政治的形式主義の裏に隠れた「(スイッチ)ボタンに」指を置くそれらの個人達の全く恣意のままになるということが議論の余地のない事実である。しかも彼らの優先権が明らかに会社の軍産複合体の目的によって形成される限り殆ど慈意は介入しないのである。その代わり我々の集団的未来と我々の惑星の未来は会社の収益性と政治領域に由々しく影響を受けるのである、そこでは会社のメデイア、意図的に制限された両極内の振幅に支持されて、平和的解決、維持可能なエネルギー投資のような進歩や改善をしたり可能性を探ることは、既に権力を持っている者に利益を齎す以上には、決してしないのである。
原子力発電所の稼動を危険にさらすということは余りにも危険なので、原発は如何なる重要な革命も抑止するという事がパワー(権力)ブローカー(仲介者)達によってかつて理論化された。この考えは全世界が何十年に亘り「相互確実破壊」-相応な略語「MAD(狂気)」ー即ち核戦争を防ぐ唯一のカウンター・バランス(均衡重し・対抗策)は核戦争そのものの脅威であるという政治的図式の下に活きるというのと同様である。
しかしながら、かつてのソ連内での革命が核実験が革命を抑止するという了解事項を変えたーがそれは本当の革命であったか?軍産複合体の枠内に束縛されたままの核社会内で実際どれだけ変化が可能か?敢えて言うなら、デッキ・チェア(甲板椅子)のちょっとした並べ替え以外には何らかの意味のある逸脱も起きなかった。原子炉も何もかも、外的影響も内的状況の両者共に現存複合体の枠内に結果を留めることを保証したのである。
軍産複合体の勃興は戦争と平和の全動態を完全に変化させ、我々の社会を維持可能なエネルギー解決探求から常時の核溶融の危険へと舵を切ったのである。原子力発電はそれ自体固有の危険を持っている;即ちそれが貯蔵する廃物とそれが放出する汚染が大部分目には見えないが、それだから少ないという訳にいかない脅威を母なる地球と我々の生物学に与えるのである。原子力実験所を建設することは自分の国のインフラ(内部構造・下部組織)に自滅スイッチを設定するに似ており、それが意図的(軍事的)であろうと偶発的(フクシマのように)であろうと、過って押せば、景観とそこや周辺に住む一切のものを破壊し、救済方法は不可知(不可能)である。
しかしながら、原子力実験は、我々が会社の利益と腐敗した政府が人権と自然法を侵害し、平和の名において個人の自由を奪い、その危険な実験で我々の生物学を危険に曝すのを許している限り、脅威であり続ける。軍事及び原子力プログラムが我々の国家および地球の経済的・政治的構造である戦争世界に住んでいる限り、完全なシステム改革ーシステムの平和と維持可能性ー以外の革命は全く革命にならない。戦争と汚いエネルギーが我々の政治的・経済的構造によって奨励(推進・補助)されるのを止めない限り、他にどんな事をしようと名前を変えただけの同じゲームに過ぎない。
見えざる軍事的影響
インターネットが1950年代に地球規模の核紛争の後に通信する「生き残り通信網」を軍に提供するために初めに開発されたことを知っていただろうか?(3)その通り、インターネットは軍事的発明であ、原子力実験時代から直接生まれた、その固有の恐怖なのである。同様に、原子爆弾開発と原子力エネルギー開発に導いた実験は一つであり同じものである;だから(日本を除いて)原子力に最大の投資をする諸国は原爆で重武装している国であることに驚くことがあろうか?(5)(6)
間接的、直接的に我々は皆戦争の制度と俗習の親指に下に押さえられている。基本的に軍産複合体を利するのでなければ発展させられない。そしてこの苦境は何千年間も前からである。世界の帝国主義者達の古い作戦様態は継続しているが、原子力実験時代に変わった全ては技術である。
そうではないと我々は信じたいだろうが、人類はー政治的秘密で隠された真実であろうと、超感覚・超常現象であろうと、はたまたナノ・サイズの毒であろうとー見えないものを考慮できず或いはしたがらないようである。しかし我々は見えない核終末の脅威と見えないが既に我々の世界を毒している核放射能を曖昧にすることはできない。間違ってはいけないー(フクシマのような)失敗した核実験物からの有毒降下物と核兵器実験の拡散物の両者が我々の存在に対する直接の脅威を突きつけているのである、人里はなれた小島の地方であろうと、ほぼ平和な国のほぼ平和な地域であろうと。
「私はかつて愚かにも原子力が清潔で安全であるとの神話を信じていた。
その神話は完全に打ち砕かれた。核廃物を処理する場所がないのに原子
炉を再稼動するのは未来世代に対する犯罪行為である。」
ー日本国第79代首相、細川護煕
終わり無き戦争の合衆国理論
権力を手に入れて保持する最善の方法の一つは民衆を不断の恐怖に曝しておくことであるー戦争の恐怖、アウトサイダー(外者・異端者)の恐怖、最近では「テロ」の恐怖に。戦争意識の恐怖の文化を維持することは安全保障と保護の仮面の下に軍産複合体への不断の財政支出を公衆が承諾する保証をする。
我々が第二次大戦終結後の合衆国の大統領の歴史を見ると、各政府がー参加要請か直接的紛争挑発かのー戦争に直接関わる大統領ドクトリン(理論)を発明したことが判る。
かつて第一次大戦で砲兵隊大尉であったハリー・S.トルーマン大統領は合衆国に関係のない紛争に介入する外交政策を始めた最初の大統領であった。国務省の歴史家局によると、1947年のトルーマン・ドクトリンは
「合衆国は外的・内的権力から脅威を受けている全ての民主国家への政治的・軍事的・経済的援助を提供することを確立した。トルーマン・ドクトリンは合衆国外交政策を、合衆国に直接関係のない地域紛争から手を引くという通常の立場から離れて、遠方の紛争にも介入可能にするように効果的に方向転換した。」
トルーマン・ドクトリンはアメリカの外交政策となり1949年の全面的軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)の形成に導いた。歴史家達は屡トルーマンの演説を冷戦開始の日付けとして認めるが、ソ連との緊張が彼の大統領時代に劇的に増した。
銘記すべきは、トルーマンが原子兵器を日本に対して使用することー1945年のヒロシマとナガサキの原爆爆撃ーを承認して他国の核攻撃を開始した今日までのところ最初の大統領であるということである。
歴史はジョン・F・ケネディーをピース・メーカー(平和作成者)とするが、ケネディー・ドクトリンは「共産主義に対する闘いにおける軍事力と同調」と人間の共同の敵、独裁・貧困・疾病・戦争そのものに対する闘いに公衆の支持を呼びかけて冷戦に燃料を加えた。(9)合衆国政治において有力な「全てに対する戦争」の最初の兆候として、ケネディーの外交政策はまた、合衆国は国際システムにおける出来事を統制する軍事・政治力を持っているのだから、そうすべきだという考えを推し進めた。「世界の長い歴史の中で、ほんの少数の世代がその最高の危機の時から自由を守る役割を恵まれた。私はこの責任から尻込みしないー私はそれを歓迎する。」このケネディー・ドクトリンの干渉主義、合衆国対彼ら心理、がケネディー政府を支配していたし、冷戦のエスカレーションは彼の大統領としての遺産の基石である。
1957年のアイゼンハワー・ドクトリンは、戦争宣言ではないが、諸国が合衆国を戦争に招き入れるのを直接的に促進した。(10)スエズ紛争とその結果としての合衆国の同盟国大英帝国、フランス、およびイスラエルの国際的優位喪失に続いて、ドワイト・D・アイゼンハワーは中東に力の空白が出来たと信じて、他国の脅威が感じられたならその国にアメリカの経済援助と共に、あるいは合衆国の軍事力援助を要請するようにと呼びかけた。その結果アイゼンハワーは(当時)ソ連から感じられる脅威からレバノン共和政体を守る為にレバノンへ合衆国部隊を派遣した。この干渉は海外における他国の紛争に親玉的干渉をする近代の合衆国サイキ(精神)にその文化を確立して今日に至っても未だに優勢である。驚くに足りないが、アイゼンハワーは硬直した軍人として合衆国政府の最高職に戦争心性を持ち込んだ。彼は第二次大戦中合衆国陸軍の五つ星大将として1951年NATOの最初の最高指揮官に任命される前は欧州における連合軍の最高指揮官として仕官していた。
1969年のニクソン・ドクトリンでリチャード・ニクソン大統領はペルシャ湾岸の同盟諸国への合衆国軍事援助の水門を開き1980年にペルシャ湾岸地域の合衆国利権を守る為に軍事力を使うとあけすけに述べたカーター・ドクトリンの舞台を設けた。是は湾岸戦争とイラク戦争で合衆国による以後直接軍事介入する合衆国の政治的文化を創造した。
同様に、冷戦時代のレーガン・ドクトリンは地球的問題にソ連の影響が及ぶのを直接反対する戦略の輪郭を示した。ローナルド・レーガンはソ連の影響が何であれ反対すると誓い、この政策は1990年代初頭までアメリカの外交政策の中心であった。
ジョージ・H.W.ブッシュは大統領の任についた第二次大戦の最後の退役軍人(機雷爆撃機飛行士)であったが、もう一度合衆国大統領職に増大する戦争心性を齎した。冷戦の終わりに向かう頃イラクは豊富な石油資源を持つ隣人クウェイトに侵攻した。合衆国が常任理事国である国連安保理から権限を与えられて合衆国はNATO同盟国と他の諸国と連合軍を組織して、主として合衆国の軍人に率いられてイラクをクウェイトから追い出した。(12)湾岸戦争が終わった時ブッシュ大統領は封じ込め政策を制度化し周辺諸国に合衆国軍隊を駐屯させた。しかしながら、1992年にジョージ・H.W.ブッシュの下で働いていた国防総省の役人達は、封じ込めと抑止力は古くなったと結論して、新しい合衆国軍事・政治戦略を提案した、「自衛」の手段としての先制攻撃の使用と合衆国の安全保障にとって脅威と感じられるものに対して一方的行動を取ることを提案する新しい政策である。先制と一方的攻撃の考えを巡る議論が起こり、ブッシュの公式政策からそれらは除外されたが、(13)両ポイント共に彼の息子ジョージ・W・ブッシュが2000年に大統領職に着くや外交政策の(大いなる驚愕だが)中心となって採用されたのである。
ウィリアム(ビル)・J・クリントン大統領のクリントン・ドクトリンはユーゴスラヴィア戦争(1991-2001)に合衆国が介入するのを正当化する為に用いられた。クリントンは後に合衆国の介入をまことしやかな人道的理由で正当化してボスニア戦争に合衆国を介入させた;しかしながらクリントン・テープ「大統領と歴史に取り組む」で明かされたように、私的にはクリントン大統領のボスニア介入は人道的ミッションではなく、むしろ独立したボスニアは、ヨーロッパで唯一のムスリム国は「不自然」になろうとの理由で、反対であるということの直接の結果であった。(14)クリントンは自らの大統領在任中に、ボスニアとヘルツゴービナで1995年のNATO爆撃作戦(熟考力作戦)、(15)1998年の「砂漠狼作戦」のイラク爆撃(「イラク解放作戦」と欺瞞的に名付けられて権限を与えられたが)(16)、1999年のユーゴスラヴィア爆撃(17)及び報復的な1998年のアフガニスタンとスーダンの爆撃(無限到達作戦)も大統領として行った。他の諸国の為に行った直接攻撃に加えて、クリントン大統領はまた自らの大統領在任期間を通して頑強な封じ込め政策を維持して、敵諸国(劇的にその数が増えたが)の国境周辺を合衆国基地で裏打ちした。
しかしながら、最も有名になった野蛮なドクトリンはブッシュ・ドクトリンであるが、それでジョージ・W・ブッシュ・ジュニアは、本質的に自国と他国におけるテロリスト行動と感じられるものに対して合衆国は「先ず撃て、質問は後」政策を宣言した。(19)「先制戦争」という非合理的な考えの推進者として、ブッシュ・ドクトリンは潜在的脅威が合衆国を攻撃する前に攻撃するという誤った理由付けに基いており、それが平和と安全保障の唯一の道であるとするがー歴史が証明して来たようにーそれは更なる戦争と安全保障の脅威を保証する最も効果的な道である。
事実は、合衆国は過去239年間のうち222年は戦争をしてきたのである。それはその期間の93%である!1776年に独立宣言が書かれて以来実際平和であったのは(その間も更なる戦争を計画していたが)全部でたったの21年である。大統領の一人たりとも純粋に「平和時の大統領」としての資格は無いし、合衆国が5年継続して戦争に行かなかったのは1935年から1940年の間であり、それは大恐慌の時代の間の事であった。
それを暫く沈下させよ」
「戦争が平和の理由付けとして使われる時戦争は終わらなくなる」
―ノーマン・ソロモン―
1940年に第二次大戦に合衆国が参加して以来世界の軍事作戦の殆どは合衆国によって始められ(6)、今日の合衆国軍事支出はそれ以外の世界の軍事支出総計を上回る。(21)加えて、合衆国はまた毎年30億ドル以上(一日あたり1千万ドル以上)イスラエルに軍事援助として供給し、パレスチナでの継続的戦争に資金援助をしている。
合衆国経済と核実験複合体の絡み合いは経済歴史協会のクリストファー・J・タッサヴァによって雄弁に語られている:
合衆国にとって第二次大戦と大恐慌は二十世紀の最も重要な経済的出来事となっている。」その戦争は恐慌自体を終わらせた。連邦政府が戦争から、経済活動の統制と支出と消費を通じて部分的に経済を統御することのできる有能な経済行為者として立ち現れた。アメリカの産業は戦争によって再活性化され多くのセクター(部門)は1945年までに防衛品生産に鋭く方向付けられるか(例えば航空宇宙や電子産業)または完全にそれに依存することになった(原子力産業)」
アメリカの技術-科学革新」は戦時秘密により公衆の視野から屡隠蔽されていた。例えば、原子兵器を創造するためのマンハッタン計画は仰天させる科学的ブレークスルー(突破口)の結果であった:即ち1942年12月シカゴ大学で科学者のチームによる核連鎖反応の制御の創造である。合衆国陸軍といくつかの私的契約者の指揮下で科学者、技術者および労働者が原子燃料製造と原子兵器組み立ての為に実験施設とプラント(施設)の国中に繋がる複合体を造った。マンハッタン計画は1945年8月日本のヒロシマとナガサキに二つの原爆を落とした時に頂点に達した。その時までにマンハッタン計画は約20億ドルを費やし10万(人)を雇う巨大経済的尽力になっていた。
今日合衆国経済はあまりにも戦争に依存しているので合衆国政府が平和の為に努力する誘引は何も無いーそんんなものは単に儲けにならないだけなのだ。合衆国の防衛産業は人をふらつかせる程の3百50万のアメリカ人を雇用し、軍を支持する私企業は年間3千億ドルを超える収入を生んでいるのである。(24)
合衆国経済と軍事作戦が余りにも本質的に連鎖しているのでアメリカの人々は長いこと戦争文化を普通の事として受け入れるようになり、合衆国がはるかに弱い軍事力国家によって脅威に曝されており、また合衆国は気高くも「平和の為に戦っている」ー最高級の撞着語法ーと言う益々馬鹿馬鹿しくなる宣伝を信じているのである。その結果、合衆国政府は人民によって平和を創造するようにと強制されることはこれまで無かったのである。平和の正にその観念ー私は戦争に勝つことを意味するのではなく、本物の平和を意味するのだがーは合衆国の人々には余りにもよそ事なのである、国家として我々は本当に平和を経験したことがなく、我々の指導者達もかつて平和を思い描いたこともなく、ましてその為に計画したり、大統領のドクトリンの焦点にすることも無かったのである。
今や核時代に入って、合衆国のサイキ(心根)と経済の両者にしっかりと根付いた戦争精神状態で、現在進行の比率で我々は自らを殺し他のすべての物と人を道ずれにしいて行くのである。核実験は、軍事か発電かに拘わらず、一切の生命にとって今もそして永遠に有害である;歴史がそれを証明している。そして我々の歴史や文化や政治や経済の統合的部分となっている合衆国のような国の手の内にあって、世界平和の最大の脅威を課すのは、テロリストでもなく、外国勢力でもなく、イスラームの極端主義者でもなく、共産主義者でもなく、それは我々の政府なのである。
しかし明らかに、歴史の教訓と失敗した大統領の政策は、今日権力の座にあって、我々の利益を中心にすると主張する、その者達には学習されていない。ブッシュ・ジュニアの対決と単独主義の時代よりむしろ交渉と協力(「変化」)の虚偽のドクトリンで、バラク・オバマ大統領は更に一兆ドルの合衆国納税者の金を更なる核兵器開発と建造の為に軍需産業に注入しようと計画している。(25)これは、合衆国が既に世界で最も核重武装した国である事実に拘わらずである。否定できないことは、彼の意図ーペンの一筆とボタンの一押しで全惑星を絶滅させることのできる点に至る核兵器拡散を続行することーはMAD(相互確実破壊)哲学が誤った安全保障の一つであるのみならず、オバマ大統領は平和創造も変化の意図も無いことを証明するものである。彼の前任者のように、彼は単に戦争介入主義者の名ばかりの指導者の一人に過ぎずー会社の軍産複合体の代弁者であり、人々に対する責任を装い、致命的だが金儲けになる軍事・商業利益の為に行動しているのである。そこで、彼を止めるのは我々に繋っている。我々、人民がMAD(狂気)に止めを刺すために我々の国の統制を取り戻さなければ、我々は繰り広げられる破壊に対する呵責を自らの他に誰にも向けることは出来ない。
革命の時
政治屋達が「それが政治だ。」と言うのを聞くと何時も私は身の縮む思いをする。軍産複合体が人類の友愛の首絞めを理解しているので、この陳述ー「それが政治だ。」ーが単に、「1%」(統制する者)頂上に「99%」(統制される者)が下にする、「それは個人の上にある制度だ」を意味するのだと知っている。我々の集団は時の経過と共に部族(自然)から国家(不自然)へ、そして個人の法律上の権利を生命無き制度に与えたので、我々の法的組織は今や人間でも自然でもない実体[実は仮構体]を守り力を与えるのである、人間であり自然である我々を犠牲にして。
実際、戦争で利益を得る唯一の実体は制度でありその後ろに隠れた個人であり、彼らを祀り上げる法的形式である。戦争する制度の統制者は国家の熱狂がどうなろうと、何が起ころうと、どちらが「勝つ」ことになろうと、エリート(選良)が栄えるように手配するのである。彼らは永続する紛争(戦争)を受け入れ支持さえする文化を国内で、自らの悪業で相手だけが苦しむ文化を外国での戦争で、永続化する。
合衆国とロシアの制度は背後に異なる加害者を持ち、異なる道具を持って異なる旋律を奏でるかもしれないが、実際それらは全く同じ音色である。アメリカ合衆国の寡頭政治の集団主義は会社の音色が好まれ、一方ロシアでは国家の音色が主である。名前は違うがゲームは同じである。アメリカ合衆国では会社の神聖な権利が支配し、ロシアでは国家の神格がシンフォニーを指揮する。しかしながら、どちらにしても、軍の戦争歌謡であり、国家主義であり個人への関心ではない。
世界はMADの狂気の下で余りにも長く生活してきた。人類は戦争によって息詰まらせられそして戦争によって制限されてきた、諸制度組織によって余りにも駆り立てられて。我々は前へ動くべきだ、そして速く。革命の為の時だー本当の革命の。これらの害毒のある諸制度組織の頚木を振り落とすことを我々に促すあらゆる社会的理由付けと共に生物学的理由付けがもっと現実的であり更に大きな至上命令である。我々は我々の主権を破壊的で、戦争をする、寡頭政治的な、人類とその長期的関心を代表する振りをする諸制度組織から取り戻すべきであり、それらを愛情あり、維持可能で、慈善の諸制度組織に改革しなければならないーそうしなければ我々は前進する割合に従って我々は滅びる。それが核時代の事実である。
「我々のすべて熟慮において、我々の決定が次に来る七世代に対する衝撃を考慮するべきである」~イロクオ族の格言
インディゴ・ドクトリン:相互合意平和
我々、世界の人民は個人の生命、自由および幸福追求をないがしろにする制度的戦争屋の利害関係に取って代わることが出来る。我々にはそれ以外の選択肢はない。もし我々が相互合意平和に委任統治しないなら、母なる地球が略奪されその住人達が組織的に核の戦争に駆り立てる狂気によって全滅させられているのに、政治屋達が肩をすくめて「それが政治だ」と言うのを許しているのである。
どのようにして我々は戦争機械をとめることが出来るか?そう、確かにそれに戦うのにその手段を用いるのではない。それは機械がその為に設計されたのであり、そこで「それはくつろぐのだ」。武装による抵抗は唯それ(戦争機械)を立ち上がらせ行進させる。結局、彼らは核を持ち、それを使うだろう、彼らは既にヒロシマとナガサキでそうしたのだから。その死のエンジンのスイッチを切る他の方法があるべきだ。
我々が最初に必要なのはこの問題を本当に理解することである;即ち戦争はそれがそうだとして語られる理由の故に実際永続されているのではないのだということ。戦争は安全保障でも平和に関係するものではなくて、現状維持の政治的に金儲けになる仕掛け:つまり、人々よりも諸制度組織に利益を与える戦争経済だということである。戦争は外部者と関わり外国に政治的意思を強制する為にだけ戦われるのではなく、それと同じくらい屡我々の国境内の革命家達を拘束し統制するものである。戦争の文化は変化を齎したいと期待する潜在的革命家達や若者達を未然に防ぎ、諸国民が戦争の歌を歌い生き物達よりも制度組織のレヴァイアサン(巨大海獣:国家組織)に「仕える」心理的罠に嵌って身動き出来なくしておくものである。合衆国の国家でさえも戦争の歌(27)であり、戦争システム上に造られ維持される国旗を誇らかに振って、何百万人によって誇らかに歌われる世界中で最も良く知られた一曲である。
「そしてロケットの赤い輝き、爆弾は空中でさくれつし、我らの旗がそこにあると夜中じゅう証明した。」
我々の第二の必要は戦争の文化を永続化させる諸政府に立ち向かわなければならないということである。大地から立ち上がる人類の同朋意識が平和の為に一緒にならなければならない、そうしなければ一緒に我々は焼けて地に崩れ落ちるだろう。私の提案は、我々が人類発展の次の論理的ステップ、我々を殺すために造られた戦争機械の中で我々の生き残りの為の唯一の資源である;我々は個人として、主権者として、堅固な大地の大地主義者として、核時代のMADness (相互確実破壊:狂気)を拒否しMAP(相互同意平和)の考えを触媒とすることであるーMAP。
人々は物事を変えられず、既に存在する統制システムに対して我々は無力だと言う者は誰でも、人々は影響力によって出来た観念、想像力として始まったシステムの中に居るということを理解していないのである。
地球的平和への道は戦争で舗装されてはいない。戦争の場合は制度組織と集団的志向が焦点であるが、平和の場合は個人の権利と主権者の共同が時代の命令である。戦争心理は分離[罪]を奨励するが、平和は我々の相互の連携と共通の人間性への尊敬を奨励する。戦争は「我ら」と「彼ら」の描写で、我らの敵と告げられる彼らにある脅威と非人間性の感覚を創造することの上に築きあげられる。平和は「我ら」だけがあり、「彼ら」はないことを認識する。
戦争の心理を超克し平和の心理を抱擁する為に、我々は自らの心意識を個人には開放し、諸制度組織には閉鎖する必要がある。我々は戦争を迫り、政治的・経済的戦争のレトリック(修辞・言辞)を弄する者は誰でも制度組織の側に立ち、人間性の立場に立つものではないと認識しなければならず、統制する諸制度組織の為に我々の中に戦争の心理を永続化させるように働くー主流のニュースのようなープロパガンダ(宣伝)のメカニズム(仕組み)をデ-コンストラクト(解体)しなければならない。
歴史は我々に、戦争準備は更なる戦争に導くだけでなく、戦争を経済的必要とすることを示してきた。我々の世界に平和を確実なものにする道は「相互同意平和」ドクトリンを理論および実践として採用することである;平和に予算を付け、平和に委任統治を与え、平和に政治的・個人的に我々の全勢力を与えることであるーそしてそのように行動できない個人を誰でも、我々の意志と数の力によって、政府から排除することである。
「相互同意平和」は来るべき革命である。それは生きて呼吸する者達より生命無き諸制度組織を重んずる戦争世界の現状維持を放り出す次のフェース(局面・段階)である。
我々はMAP(相互同意平和・地図)の真向かいに「相互同意平和」を創造する必要がある、そうでなければ我々はそれを常に彼らの道にするだろう。それは全く道ではない。
「大地が破壊され、動物達が死んでいく時、多くの色や信念は階級の新しい部族の人々が大地にやって来て、彼らの行動や行為によって大地が再び緑になるべきである。彼らは虹の戦士として知られるべきである。」~ホピ族
(「世界よ目覚めよ」の為にアンディー・ホワイトレイによる追加研究と注釈)
「革命の小さな緑の本」
「革命の小さな緑の本」は平和的革命、歴史的行動主義、そしてアメリカ原住民のような大地への配慮に基く霊感(インスピレーション)の本である。
平和的行動的革命の歴史を個人の為、反制度組織的に見て、我々の現在のエネルギー分配システムに内在する環境破壊を探求し、失敗した「新世界秩序」の寡頭政治的制度に対抗するアイデアを提供する。
「革命の小さな緑の本」はここからアマゾンに注文できる。
(吉田魯参訳)
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英文・日本文併記ブログ:
英文ブログ:
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